ハワイ島・キラウエア火山の東には、溶岩流が冷えて固まり、黒く不毛な土地が広がっています。
かつてここには、村がありました。しかし、プウオーオー噴火口から20年以上に渡り溶岩が流れ続け、この土地の風景を変貌させました。今では、溶岩流・パホエホエが作り出したゆるやかな畝だけが残ります。
この場所に、神や先祖を奉る祭祀の場所・ヘイアウがありました。それはワハウラ〝赤い口〟と呼ばれ、800年以上の歴史があり、ハワイにとって非常に重要な存在でした。しかし1997年の溶岩流で、天井の一部のみを残し、すべて焼け落ちてしまったのです。
この模型は、1902年、実際のワハウラ・ヘイアウの石を用いて、ビショップ・ミュージアムの考古学者J.F.G ストークスによって作られました。
ワハウラは〝ルアキニ〟と呼ばれる特別なヘイアウに属します。王のみが、その建設の命令を下すことができ、さらに神聖なものとするため、人間の生け贄を捧げたといわれています。このルアキニ・ヘイアウは、初期の移住者たちが持ち込んだものではなく、1250年代に高僧・パッアオがもたらしたとされています。
伝説では、パッアオは、兄弟ロノペレに敗れた後、カヒキ現在のタヒチあるいはサモアからカヌーで航海してきたと言われています。彼らはハワイ島プナ地区に上陸。そこにルアキニを建て、儀式を行いました。その後、島の反対側のコハラに、モッオキニという別のヘイアウを建てあげます。
何世紀にも渡るハワイ諸島の中での交流で、ヘイアウは、戦いでの勝利、あるいは豊作を祈願するなど、形や用途が多様に変化していったのです。