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サーフィンの歴史を語る上で、デューク・カハナモクを欠かすことはできないでしょう。

デュークは、1890年、ここハワイに生まれ、ダイアモンドへッド近くのビーチで育ち、水泳の名手となります。 サーファー、オリンピック選手、映画スターなど様々な顔をもち高い人気を誇った一方で、気取らない彼のライフスタイルも又、多くの人々を虜にしていったのです。  1900年代初めのハワイでは、サーフィンはほとんど忘れさられていました。というのも、クリスチャンの宣教師たちが娯楽をきつく戒め、サーフィンをも怠惰の印としてきた歴史があったのです。

しかし、こうした社会にあって、ハワイ語で〝ヘ・エ・ナル・アナ〟すなわち〝波乗り〟を続ける人が、わずかながらもいたのです。  デュークが使っていたサーフボードは、現在のような軽量で高性能のものとはまったく違います。 当時のものは木製で、ボードの下にフィンはなく、重さは45キロ、長さが4メートルを超えるものもありました。  今、ご覧頂いているこのサーフボードは、重さはおよそ34キロあり、サーフボードの革新者といわれる トム・ブレイクが作製し、デュークに寄贈しました。

ところで、カリフォルニアにサーフィンを始めて紹介したハワイアンは、実はデューク・カハナモクではありません。1885年、サンタ・クルズ市で3人の若いアリイ・酋長たちが、模範演技をしてみせたのが最初のハワイアンでした。しかし、カリフォルニアの人々を惹きつけたのは、デュークがコロナ・デル・マルとサンタ・モニカで行った実演のほうだったのです。  その後、1915年、デュークはオーストラリアに赴き、現地の松の木でサーフボードを作り、サーフィンを紹介しています。

デュークは水泳界においてもその名を轟かせました。1911年、 彼は100M自由形で当時の世界記録を5秒も縮め、世間をあっと驚かせました。翌年、オリンピック代表選手としてストックホルム大会に出場。いくつもの世界記録をうち立て、金メダルと銀メダルを持ち帰ります。

ニューヨーク・タイムズには、デュークが、一時期、800M以下の自由形において、すべての記録を保持したと残されています。 1924年、デュークはパリ・オリンピックにも出場し、銀メダルを獲得。このとき、デュークは、このサーフボードをパリに持参したのでした。