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リリウオアカラニ女王はハワイアンと西洋の文化伝統を学びながら育てられ、ハワイ語と英語も堪能でした。/h3>

双方の文化に馴染んでいたリリウオカラ二は〝アリイ〟と呼ばれるハワイアンの高貴な女性としての立ち居振る舞いを身につけていきました。当時、西欧では音楽を学ぶことが上流階級の女性にふさわしいこととされ、この慣習が、のちにリリウオカラ二の優れた音楽の才能を伸ばすことになります。  彼女はピアノなどの西洋楽器を用いて作曲をしました。ハワイ語の歌詞を西洋の楽器で奏でるという、西洋とハワイアンが融合したスタイルを、リリウオカラニは自然な形で生み出しました。

彼女が作った歌で最も有名なのは、みなさんもよくご存知の、「アロハ オエ」です。オアフ島・マウナウィリで男女が別れを惜しむ姿を見た リリウオカラニが、1878年、このギターで作曲したと言われています。 ハワイ語と英語を使い、二人の愛を表現した歌となりました。

ところが、20世紀に入ると、この歌は、旅立ちや別れの場で使われるようになりました。ホノルル湾の港から船が出て行くとき、ロイヤルハワイアンバンドがこの「アロハ・オエ」を演奏したことから、別れの歌のイメージがさらに定着したと言われています。

リリウオカラ二をはじめとし、多くのハワイアンが競って外国の楽器や、そのスタイルを受け入れていきました。スペインから入ってきたギターもそのひとつです。 19世紀以来、ギターはハワイ音楽にかかせないものとなります。

ハワイの文化に西洋の楽器が取り入れられたことを象徴するのが、 このリリウオアカラニのギターなのです。